「できない」を決めつけない場所で、子どもたちは変わっていく
車いすハンドボールが教えてくれた、スポーツ、リハビリテーション、そして人生の可能性
野球のグラウンドで戦ってきた三好大倫さんと、車いすハンドボールの普及・育成に長く関わってきた大西先生。
今回の対話は、競技の話から始まりながら、やがて子どもたちの成長、障がいのある人の社会参加、リハビリテーション(以下リハビリと略)の本質、そして夢や目標を持つことの意味へと広がっていきました。
車いすハンドボール。
まだ日本では決して広く知られた競技ではありません。
けれども、その現場には、子どもたちが初めて自分から集団に入っていく瞬間がありました。
できなかったことが、わずか30分でできるようになる瞬間がありました。
障がいのある子ども、発達に課題のある子ども、健常の子ども、大学生も、大人も、同じコートの中で笑い合う時間がありました。
今回の対話で見えてきたのは、スポーツが単なる勝ち負けを超えて、人の人生に深く関わる力を持っているということでした。
子どもたちを外へ出すために、パラスポーツがあった
先生がパラスポーツに関わるきっかけは、子どもたちとの出会いでした。
かつて、肢体不自由のある子どもたちが入院・生活する施設で、リハビリの作業療法士として働いていた先生。
当時は、障がいのある子どもたちを「外に出さない」ことが当たり前のように扱われていた時代でもありました。
しかし先生は、そこに強い違和感を覚えます。
「なんで外に出たらあかんのか」
そう考えた先生が見つけたのが、車いす駅伝でした。
子どもと大人が一緒にチームを組めるルールがあり、施設の子どもたち、リハビリスタッフ、大人たちでチームを作り、練習を重ねて大会に出場しました。
外に出た子どもたちは、インタビューを受け、レストランで食事をし、大人たちと会話をしました。
それまで施設の中では得られなかった社会との接点が、そこにありました。
先生はその姿を見て、確信します。
子どもたちは、外に出なければいけない。
社会性は、社会の中で育つものなのだと。
リハビリの先生より、障がいのある選手たちのほうがリハビリの先生のようだった
その後、先生は京都府の全国車いす駅伝チームのコーチも務めるようになります。
そこには、脊髄損傷のある人、切断のある人、仕事をしながら競技に取り組む大人たちがいました。
現場で先生が驚いたのは、選手同士の情報交換の濃さでした。
「こうしたらうまくなる」
「こういう工夫をしたら生活しやすい」
「うちの会社で働かないか」
競技の場でありながら、そこでは生活、仕事、社会参加の話まで自然に生まれていました。
リハビリとは、その人がやりたい生活や仕事を実現するために支えるものです。
しかし先生には、そこで出会った障がいのある選手たちこそが、まるで本当のリハビリの先生のように見えました。
スポーツに真摯に向き合う姿。
仕事に向き合う姿。
障がいがあっても、自分の人生を切り開いていく姿。
その大人たちの存在が、今度は子どもたちの将来を考えるうえで、大きな希望になっていきました。
車いすハンドボールは、日本でまだゼロから育てている競技
車いすハンドボールとの出会いは、京都で「車いすハンドボールを作りたい」という企画が立ち上がったことでした。
日本にはまだ競技としての土台がほとんどなく、先生はルール作りの段階から関わることになります。
いわば、日本の車いすハンドボールの立ち上げ期から関わってきた一人です。
海外では、ブラジルやヨーロッパなど、ハンドボールが盛んな地域では車いすハンドボールの環境も整っています。
プロチームの下に車いすハンドボールのチームがある国もあります。
一方、日本はまだこれからです。
先生は、日本の現状を「ゼロから一を作る段階」と語ります。
特に中部地方には、車いすハンドボールの選手がほとんどいませんでした。
そのため先生は愛知に来て、選手発掘、学生の育成、地域への普及を進めています。
病院やリハビリの現場にも競技を紹介し、外来患者や障がいのある人たちにも体験会への参加を呼びかけています。
その中から、実際に滋賀県のチームに入り、日本代表を目指す選手も生まれました。
ルールは、子どもたちが楽しめるように変えていい
車いすハンドボールの体験会で大切にしているのは、決められたルールを守らせることではありません。
その場にいる子どもたちが楽しめるように、ルールを柔軟に変えることです。
通常は車いすをこぐ回数に制限があっても、小さな子どもたちには「何回こいでもいい」とする。
パスが難しければ、手渡しで渡してもいい。
ルールを理解するのが難しい子どもがいれば、マンツーマンで対応する。
チームに入るのが難しければ、別の形で楽しめる場面を作る。
目標は、競技を正しくやらせることではありません。
まず、楽しいと思えること。
自分もできると思えること。
集団の中に入ってみようと思えること。
そこから子どもたちは変わっていきます。
発達に課題のある子ども、集団が苦手な子どもさんも、コートに入ってくる
先生は、ある県の小学校で、1年生から6年生まで全学年を対象に車いすハンドボールの授業を行った経験を語りました。
最初は、1年生には難しいのではないかと思っていたそうです。
しかし実際にやってみると、子どもたちは想像以上の力を見せました。
発達に課題のある子ども。
言葉の壁・文化の違いのある子ども。
肢体不自由のある子ども。
最初はクラスからはみ出していた子ども。
そうした子どもたちも、ゲームが始まると自然にコートに入ってきます。
ルールが十分に分からなくても、周りの子の動きを見てまねをする。
友達がふっとパスを出す。
シュートが入る。
するとチーム全体が「わーっ」と盛り上がる。
その瞬間、先生たちも驚き、関わった側も鳥肌が立つほどだったといいます。
車いすハンドボールは、子どもたちにとって「参加できる入口」を作りやすいスポーツです。
うまい下手よりも先に、まずその場に入れる。
そして、できたことがすぐに見える。
それが、子どもたちの表情を変えていきます。
成功体験が、子どもたちの内側に火をつける

先生が語った車いすハンドボールの魅力は、子どもが短い時間で変化を感じられることでした。
車いすの操作は、最初は難しく見えます。
けれども30分もすると、子どもたちは少しずつ動かせるようになります。
「できない」と思っていたことが、できるようになる。
ボールを投げる。
パスを受ける。
仲間と一緒に動く。
シュートを決める。
その成功体験が、子どもの中にある本来の力を引き出していきます。
また違う県では、中学3年生を対象に、車いすハンドボール体験が学習行動への動機づけにどのような影響を与えるかを研究ベースで検証しました。
その結果、体験後に「自分からやろうとする内発的な動機づけ」が高まったという結果が出たといいます。
さらに、その体験をきっかけに「スポーツドクターになる」と将来を決めた生徒もいました。
たった一度のスポーツ体験が、将来の夢につながる。
先生自身も、その事実から大きな学びを得たと語りました。
三好さんが語った、野球を続けてきた意味
対話の中で、三好さんは自身のプロ野球人生についても率直に語りました。
戦力外通告を受けたのは2年前。
そのとき初めて、「野球って楽しかったな」と思ったといいます。
現役中は、楽しいと思う余裕はあまりありませんでした。
毎日が仕事で、しんどさがあり、プレッシャーがあり、球場に行きたくないと思う日もあった。
バンテリンドーム(中日ドラゴンズの本拠地)に入るだけで、重たい気持ちになることもあった。
それでも、続けてきた。
そして終わりを告げられたときに、初めて「夢を叶えてよかった」と思えた。
だからこそ三好さんは、障がいのある人たちにも、夢や目標を見つけてほしいと語ります。
嫌なことがあっても続けられるような目標。
しんどくても、その先に意味を感じられるもの。
車いすハンドボールを通じて、誰かが夢を見つけ、日本代表を目指す。
その話に、三好さんは強く心を動かされていました。
車いすハンドボールの日本代表は、本気で世界一を狙っている
対話の後半では、日本代表の強化合宿の話にも広がりました。
先生は「世界一を狙っている」とはっきり語ります。
そのため、練習は本気です。
データを取り、プレーを分析し、役割ごとにコーチも置いています。
車いすハンドボールでは、投球動作にも独特の難しさがあります。
野球のように足で踏ん張ることができないため、上半身、体幹、リストの強さ、車いす上でのバランスが重要になります。
強く投げようとすると、車いすごと体が回ってしまう。
前に倒れそうになることもある。
それでもシュートを打ち、次のプレーに戻らなければなりません。
三好さんは、元プロ野球選手として「投げる」動作への知見を持っています。
先生は、日本代表選手たちの投球やシュート動作を見てほしいと期待を寄せました。
野球で培った身体の使い方が、車いすハンドボールの強化につながるかもしれない。
ここにも、競技を超えた新しい可能性があります。
学生が地域を変える担い手になる
先生が大学で大切にしているのは、学生たちを現場に連れていくことです。
子どもたちの体験会を学生が企画する。
メニューを考える。
当日の運営をする。
うまくいかないことも経験する。
先生はあえて、自分が失敗する姿も学生に見せるといいます。
それも含めて、現場で学ぶことが大切だからです。
大学生たちは、子どもたちと関わりながら、障がいのある人と関わりながら、地域の中でスポーツを作る経験を積んでいきます。
その経験が、卒業後に子どもの施設で働きたい、リハビリの現場に進みたいという思いにつながっていきます。
子どもたちを支える人を育てる。
パラスポーツを広げる人を育てる。
地域の中でインクルーシブな場を作る人を育てる。
車いすハンドボールは、競技であると同時に、人を育てる教育の場にもなっています。
スポーツは、人生の次の一歩を作る
今回の対話で印象的だったのは、車いすハンドボールが「競技」だけに閉じていないことでした。
子どもたちを外へ出すための手段であり、
障がいのある人同士が出会う場であり、
就職や社会参加につながる場であり、
学生が学ぶ教育の場であり、
日本代表として世界を目指す本気の競技でもある。
そして三好さんにとっては、自分が野球を通じて得てきた経験を、次の誰かに手渡す可能性を感じる時間でもありました。
現役時代に積み上げたものは、引退とともに消えるわけではありません。
投げること、続けること、夢を持つこと、プレッシャーと向き合うこと。
そのすべてが、別の競技、別の人、別の未来につながっていくことがあります。
車いすハンドボールのコートには、「できるかどうか」よりも先に、「やってみよう」と思える空気がありました。
その空気が、子どもたちを変え、学生を変え、選手を変え、そして社会とのつながりを少しずつ広げています。
編集後記
今回の対話を通じて強く感じたのは、スポーツには、人を外へ連れ出す力があるということでした。
施設の中にいた子どもが、外に出る。
集団が苦手だった子が、コートに入る。
障がいのある方が、競技を通じて仕事や仲間と出会う。
学生が、地域の子どもたちのために企画を作る。
元プロ野球選手の経験が、車いすハンドボール日本代表の強化につながるかもしれない。
その一つひとつは小さな出来事に見えても、人生を変えるきっかけになり得ます。
三好さんが語った「戦力外になったときに、初めて野球が楽しかったと思った」という言葉も印象的でした。
夢を追っている最中は、楽しいことばかりではありません。
むしろ苦しいことの方が多いかもしれません。
それでも、続けてきた時間は消えない。
その経験は、次の誰かの夢を支える力になります。
車いすハンドボールが広げているのは、競技の可能性だけではありません。
子どもたちが自分の力に気づく可能性。
障がいのある方が社会とつながる可能性。
アスリートが引退後も経験を生かしていく可能性。
今回の対話は、スポーツが人生の中で果たす役割を、あらためて深く考えさせてくれる時間でした。
◆プロフィール
日本福祉大学健康科学部
リハビリテーション学科 教授
大西 満 Mitsuru Onishi
■略歴
神戸大学大学院医学系研究科修了(保健学修士)
専門領域:小児リハビリテーション、子育て支援、パラスポーツ(車いすハンドボール)
■最近の業績
①日本パラスポーツ看護学会第7回学術集会
車椅子ハンドボール日本代表候補者の運動競技能力とスポーツ状態不安の関係
②第67回日本教育心理学会
教員だけでは支えきれない学生ニーズの多様化
〜PS室との協働が生む学生支援の新たな可能性〜
③第59回日本作業療法学会
車いすハンドボール日本代表選手のスポーツ特性不安とスポーツ状態不安の関係
④車いすハンドボール日本代表監督2024
3rd IHF Wheelchair Handball World Championship.2024 EGYPT 世界5位
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