
「自分に負けない」──車椅子の元競輪選手・吉田さんが語る、人生のセカンドキャリア
文・構成:都竹正義
かつて競輪選手として全国を飛び回っていた吉田憲司さん。現役生活17年目の練習中の事故で脊髄を損傷。車椅子生活となった彼は、落ち込むことなく「自分にできること」を探し続けてきた。福祉活動、学校での講演、ラジオパーソナリティ、就労支援作業所での勤務……。今では多くの人々に勇気と希望を与える存在となっている。
そんな吉田さんに、これまでの歩みと、これからの「生き方」について語ってもらった。
■競輪という世界へ

「僕が競輪選手を目指したのは高校2年の時。自転車部に所属していて、地元の競輪場でプロ選手の練習風景を見たのがきっかけでした。かっこよかったんですよ。強くて、速くて。僕もああなりたいって思った。」
高校卒業後、吉田さんは厳しい試験を突破して日本競輪学校へ。身長や体重ではなく、純粋に体力と実力(タイムトライアルの数字)で選ばれる世界だ。
「今は年齢制限もなくなって、30代でも受験できる時代。昔と比べてずいぶん間口が広がりましたね。」
■突然の転機──練習中の事故
「ある朝の練習中、不注意からトラックに追突して転倒。起き上がろうとしても、全く体が動かない。直感で“やばい、脊髄やったかも”と思いました。」
救急搬送され、その日の夕方、医師から告げられたのは「もう歩けないでしょう」という現実だった。妻と幼い子どもたちの顔が頭に浮かぶ。その時は、3人の子供の1番下の子が4ヶ月でした。自分はこれからどうやって生きていけばいいのか。
「正直、最初の1ヶ月はキツかった。でもね、子どもたちの存在が大きかった。“終われない”って思えたんです。」
■車椅子生活のスタートと“仲間”の力
「中部労災病院に転院して、そこで初めて“自分だけじゃないんだ”と気づくことができました。僕よりも重い障害を抱えながらも、明るく前向きに生活している人たちがたくさんいたんです。その姿に刺激を受け、心の中でスイッチが入りました。」
退院後は、先輩選手の計らいで競輪場内にある初心者ガイダンスコーナーでの勤務が始まりました。車椅子のままでもできる仕事を見つけ、社会との接点を取り戻しながら、少しずつ社会復帰への道を歩んでいきました。
「本当にありがたかった。仲間が“居場所”を作ってくれたおかげです。」
そう語る吉田さんは、人とのつながりを何よりも大切にしています。その姿勢が周囲の人たちにも伝わり、多くの人が自然と吉田さんの周りに集まっているように感じられます。
現在、吉田さんは「中部脊髄損傷者協会」の代表を務めています。協会では、同じような境遇にある方々へのピアサポートを行い、精力的な支援活動を展開しています。
インタビュー当日も、病院で治療中の方のご家族から「退院後の生活が不安で…」といった相談の電話が入りました。そんな不安を抱える人々にとって、吉田さんのような存在は大きな安心と勇気を与えてくれます。
単にアドバイスをするだけではなく、相手の立場に寄り添い、実体験に基づいた言葉で話をしてくれる。その丁寧で真摯な姿勢に、多くの方が救われているのです。この協会の活動をより多くの方に広めていきたい
■“恩返し”としての活動

吉田さんは現在、福祉団体の一員として、障害者支援や講演活動に力を注いでいます。小中学校での講話では、子どもたちにバリアフリーの意味や、車椅子利用者の視点について、わかりやすく伝えています。
「駐車場やトイレの構造、車椅子の使い方――どれも当事者の声がなければ、本当の意味での理解にはつながりません。だからこそ“伝える”ことが、僕の役割だと思っています。」
講話で子どもたちに必ず伝えているのが、「無理をせず、困ったら周囲に伝えることが大切だよ」ということです。
例えば、コンビニで欲しいおにぎりが上の棚にあると、自分のような車椅子ユーザーには手が届きません。そんな時は、周りの人に「取ってもらえますか?」とお願いしています。すると、誰かが必ず助けてくれるんです。それは特別なことではなく、ごく自然な助け合いの形だと思います。
困っている人がいれば、きっと誰かが手を差し伸べてくれる。そして、自分もまた、誰かが「困っている」と声を上げてくれれば、自分にできる範囲で助けたい。それだけのことです。だからこそ、みんなにも、困ったときやつらいときには、ためらわずに声を上げてほしい。そう伝えています。
本当に心から出てくる吉田さんの言葉は、子どもたちの心にまっすぐ届き、大きな説得力を持っています。
■“自分に負けない”ということ
「現役時代も今も、僕のモットーは“誰かに勝つ”んじゃなくて“自分に負けない”こと。」
事故のあとも筋力維持のためにジムに通い、ベンチプレスでは現役時代よりも重量が上がるようになったという。
「リハビリだって、ある意味トレーニング。続けてるのは健康のためだけど、“負けたくない”って気持ちはずっとあります。」
■「スポーツと生きる」とは
最後に吉田さんはこう語った。
スポーツをしていたおかげで人間として基本的に「自分に負けない」ということがしみ込んでいたことが自分を奮い立たせてくれたスイッチになったと思います。
「誰にでも、明日突然に“人生が変わる日”が来るかもしれない。でも、どんな状況になっても“生きている限りできること”はある。自分の経験が、誰かの希望になれば、それが僕のPlayOnです。」
■吉田憲司(よしだけんじ)さんについて
元競輪選手。高校時代に競輪に魅了され、厳しい訓練を経てプロとして活躍。しかし、現役生活17年目の練習中の事故で脊髄を損傷し車椅子生活に。事故後は「自分にできること」を探し続け、講演活動や福祉支援、ラジオパーソナリティ、就労支援作業所勤務など、幅広く活動。特に障害者や地域社会へのピアサポートを行い、多くの人々に勇気と希望を与えている。現在は中部脊髄損傷者協会の代表としても活動中。
中部脊髄損傷者協会へのリンクはこちら:中部脊髄損傷者協会
■取材を終えて
スポーツ選手としての栄光と、突然の転落。だが吉田さんの語る言葉には、悲壮感よりも“生きる力”が満ちていた。その笑顔と行動力は、まさに「本当に強い人」を体現している。絶望の隣には希望があるということに気づかせてもらえたインタビューだった
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