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マットの上で向き合い対話する二人

「正解がない」から、自分の形を探し続ける

ブラジリアン柔術とプロ野球に共通する、技術、緊張、敗北、そして立ち直る力

元プロ野球選手の三好大倫さんと、総合格闘技のプロ選手として活動し、現在はブラジリアン柔術にも取り組む“アマゾン”ことアマゾン大輔さん。

今回の対話は、ブラジリアン柔術の関節技や絞め技を実際に体験するところから始まりました。

足首を固定され、自分では動かせなくなる感覚。

一見すると寝転んでいるだけに見える攻防の中で、下になった選手が感じている圧力。

ほんの少し力を加えられただけでも、「このままいけば捻挫する」「さらに続けば折れるかもしれない」と直感する関節技の怖さ。

三好さんは、技を受けることで、映像を見ているだけでは分からなかった柔術の現実を体で理解していきました。

対話はそこから、柔術の技術体系、日々の練習、基礎動作の意味、新しい技が生まれ続ける競技の自由度へと広がります。

さらに、プロ野球と格闘技に共通する「自分の体に合った形を探すこと」、負けた試合ほど記憶に残る理由、失敗や挫折からの立ち直り方、試合前の緊張との向き合い方、そして観客には見えにくい“守る側の苦しさ”について、二人はそれぞれの競技経験を重ねながら語り合いました。

今回の対話で見えてきたのは、柔術も野球も、教えられた正解をそのまま再現する競技ではないということでした。

基本を繰り返しながら、自分の骨格、自分の体型、自分の感覚に合う形を探す。

失敗をなかったことにするのではなく、次につながる意味を与える。

緊張を消そうとするのではなく、戦うための力として受け入れる。

異なる競技に生きてきた二人の言葉は、技術論を超え、競技者が自分自身とどう向き合うかという話へつながっていきました。

CARPE DIEM NAGOYAの外観
今回の対話と柔術体験は、名古屋市内のブラジリアン柔術ジム「CARPE DIEM NAGOYA」で行われました。

関節技は、力で壊すのではなく「動けない位置」を作る

体験の冒頭で紹介されたのは、ブラジリアン柔術における関節技でした。

柔術では、指など一部の小さな関節に対する攻撃には制限がありますが、手首、肘、肩、膝、足首など、さまざまな関節を狙う技があります。

腕を伸ばす。

肩をひねる。

膝の動きを制限する。

足首を固定する。

アキレス腱周辺を抱え込み、相手が逃げられない位置を作る。

それぞれの技は、単純に力任せで関節を壊そうとするものではありません。

まず相手の体を固定し、関節が本来動く方向とは異なる方向へ、少しずつ圧力が加わる状態を作ります。

技を受けた側は、強い痛みが出る前から危険を感じます。

「これ以上いけば捻挫する」

「この方向に動かされたら、関節が耐えられない」

「自分では足を戻せない」

その感覚があるため、試合では大きなけがに至る前に「タップ」と呼ばれる意思表示をして降参します。

三好さんも実際に足首を固定されると、最初は「少し痛い」「伸ばされている」と感じていました。

しかし、角度がわずかに変わり、足首が逃げられない位置に入った瞬間、反応は大きく変わります。

「痛い、痛い」

「これ、折れるんじゃないですか」

「自分で動かせない」

ほんのわずかな力でも、関節の向きと固定の仕方が合えば、体は逃げられなくなります。

柔術の関節技は、筋力だけではなく、相手の骨格、関節の可動方向、体重の乗せ方、支点の作り方を利用して成立しています。

アキレス腱固めで狙っているのは、アキレス腱だけではない

体験では、一般に「アキレス腱固め」や「ストレートフットロック」と呼ばれる足関節技も紹介されました。

足関節技を体験している様子
足を固定し、足首が逃げられない状態を作る足関節技。わずかな角度の違いで、受ける側の感覚は大きく変わります。

プロレスなどで知られるアキレス腱固めには、相手の足を抱え、アキレス腱周辺を圧迫するイメージがあります。

しかし、実戦的な柔術の技では、単にアキレス腱を押して痛みを与えているわけではありません。

足を脇に挟み、逃げられないように固定する。

足首の角度を制限する。

自分の上半身や腰を使い、足首が過度に伸びる方向へ圧力をかける。

その結果として、足首の捻挫に近い状態を作ります。

アマゾンさんは、一般的に想像される「アキレス腱を切る技」というよりも、実際には足首を動かない状態にして、関節に無理な力を加える技だと説明しました。

三好さんも、技を受けながら足首の向きが普段とは異なる方向へ変わっていくことを確認しました。

「こっちに曲がる捻挫なんですね」

「このままいったら、本当に折れますよね」

そこで初めて、映像では地味に見える足関節技が、実際にはどれほど危険な状態を作っているのかを理解します。

柔術経験者は、関節がどちらへ動けば危険なのか、どこまでなら耐えられるのかを、日々の練習の中で体感的に覚えていきます。

それは、単に技の名前を知ることとは違います。

相手の関節の角度。

自分の体の位置。

足の挟み方。

腰の向き。

相手が逃げられる空間。

そうした複数の条件を重ねることで、初めて「決まる」技になります。

絞め技は、「苦しい」より先に意識が遠のくことがある

関節技に続き、絞め技も体験しました。

背後からの絞め技を体験している様子
首周辺の位置を調整しながら、絞め技の仕組みを体験。外からは分かりにくい圧力を、実際に確かめました。

絞め技と聞くと、多くの人は「息ができず、苦しくなる技」を想像します。

しかし柔術の絞め技には、気道を押さえて呼吸を止めるものだけでなく、首の左右にある血管を圧迫し、脳へ送られる血流を一時的に制限するものがあります。

そのため、技が正確に入ると、強い息苦しさを感じる前に意識が遠のくことがあります。

三好さんも、最初は「今日はあまり苦しくない」と話していました。

ところが、首の位置と腕の締め方が整うと、すぐに感覚が変化しました。

「ちょっと落ちそうですよね」

「今、一瞬変になりましたよね」

絞め技は、外から見ると大きな動きがありません。

殴る、蹴るといった打撃のように、衝撃が目で見えるわけでもありません。

そのため、柔術を知らない観客には、「何をしているのか分からない」「なぜ相手が動けないのか分からない」と感じられることがあります。

しかし一度技を受けると、わずかな位置の違いがどれほど大きな差を生むのかが分かります。

腕が少し深く入る。

頭の向きが変わる。

肩で逃げ道を塞がれる。

体重が首の周辺に乗る。

それだけで、まだ呼吸はできているように感じていても、急速に意識が遠のくことがあります。

映像では伝わらない、「下になった側」の苦しさ

ブラジリアン柔術や総合格闘技の試合では、一方の選手が上になり、もう一方が下で寝ているように見える場面があります。

上から押さえ込む柔術の動きを体験している様子
上から体重と圧力をかけられると、下の選手は思うように体を動かせません。寝技を外から見るだけでは分からない苦しさがあります。

競技を知らない人から見ると、下の選手がなぜすぐに立たないのか、なぜ積極的に動かないのか分からないことがあります。

「何をしているのだろう」

「早く逃げればいいのに」

「ひっくり返せばいいのに」

映像だけを見ていると、そう思うこともあります。

しかし実際に上から体重をかけられると、その見方は変わります。

胸や腹に相手の体重が乗る。

肩や腰の動きを止められる。

自分の足を自由に使えない。

呼吸をするだけでも体力を使う。

相手はただ乗っているのではなく、こちらの骨格や重心に合わせて、逃げにくい位置へ体重を配置しています。

三好さんも、上から押さえ込まれる体験を通して、下の選手が思うように動けない理由を実感しました。

「これ、下はきついですね」

「思っているほど動けない」

「見ている側には分からないですね」

柔術の魅力の一つは、実際に経験すると、試合の見え方が変わることです。

打撃であれば、パンチやキックが当たったことは目で確認しやすく、衝撃も想像しやすいものです。

一方、寝技では、何も起きていないように見える場面の中に、細かな攻防があります。

相手の肩を床につける。

腰の向きを止める。

肘を内側に入れる。

足を一本だけ抜く。

首を守りながら、わずかな空間を作る。

上の選手は相手の動きを消し、下の選手は数センチの隙間を作ろうとします。

その苦しさを体験すると、観客としても「なぜ動けないのか」「今どちらが有利なのか」を想像できるようになります。

野球で「今、打て」と思うのと同じことが、柔術にもある

三好さんは、柔術を体験したことで、競技を外から見る人と、実際にプレーしている人との感覚の違いを、野球に置き換えて考えました。

野球では、観客から見れば「ノーアウト満塁なのだから、何とか一点取ってほしい」「当てれば外野まで飛ぶはずだ」と思う場面があります。

しかし、実際に打席に立つ選手にとっては、そう簡単ではありません。

相手投手の球速。

変化球。

配球。

守備位置。

試合展開。

自分の状態。

球場の空気。

さまざまな要素の中で、一球に対応しなければなりません。

見ている側には簡単に思えることでも、実際の選手にはできないことがあります。

柔術も同じです。

下になった選手に対して、「早く逃げればいい」「足を使えばいい」「ひっくり返せばいい」と思っても、上から圧力をかけられ、肩と腰を固定された状態では、その動作自体ができません。

柔術を経験することで、観戦する側と競技する側の間にある感覚の隔たりが少し埋まります。

三好さんは、その体験によって、寝技の攻防が以前よりも面白く見えるようになると語りました。

「下の選手がどれだけ苦しいのかが分かる」

「動けない理由が分かる」

「守っている側の攻防も見えるようになる」

柔術は、経験者でなければ分かりにくい競技と言われることがあります。

しかし逆に言えば、一度でも体験すると、試合の中にある細かなゲームが見えるようになる競技でもあります。

寝転んでいるだけに見えて、普段使わない筋肉を使っている

柔術体験は約10分程度でしたが、三好さんは、想像以上に体を使っていることを感じました。

柔術の基本動作を実演している様子
仰向けの状態から腰や脚を動かす柔術独特の基本動作。普段の運動とは異なる体の使い方を体験しました。

柔術では、仰向けになりながら相手を押し返したり、腰を浮かせたり、足を大きく回したりします。

日常生活では、仰向けの状態で誰かの体重を受けながら動くことはほとんどありません。

普段は重力に対して立ち、歩き、座っています。

しかし柔術では、床に背中をつけた状態で、相手の圧力に耐えながら、自分の腰、腹部、背中、脚を使います。

そのため、一見すると寝転んでいるだけのようでも、腹筋や体幹には大きな負荷がかかります。

特に下の選手は、相手の体重を受けながら、自分の体を横に向けたり、腰をずらしたり、足を相手の体の間に入れたりしなければなりません。

柔術独特の疲労感は、走る、投げる、打つといった一般的な運動とは異なります。

地面に寝た状態で力を発揮すること。

背中をつけたまま、足を腕のように使うこと。

相手の重さを直接受けること。

三好さんにとっても、普段の運動では得にくい感覚でした。

柔術の練習は、5分間のスパーリングを何本も繰り返す

締め技や関節技を体験した後、話題は日頃のトレーニングへ移りました。

柔術の代表的な実戦練習が、スパーリングです。

スパーリングでは、一定時間、試合に近い形式で自由に技を掛け合います。

アマゾンさんの場合は、5分間のスパーリングを1本として、通常は5本から10本程度行います。

試合が近づくと、本数はさらに増え、5分間を15本ほど行うこともあります。

5分を10本行えば、実戦形式だけで合計50分です。

15本なら75分になります。

その間、常に全力で動き続けるわけではありません。

相手の動きを止める時間。

力を抜きながら機会を待つ時間。

一気に攻める時間。

危険な状態から逃げる時間。

そうした強弱を繰り返します。

柔術では、瞬間的な力だけでなく、体力の配分、呼吸、相手の力を利用する技術、どの場面で攻めるかという判断も重要になります。

また、スパーリングだけでなく、「打ち込み」と呼ばれる反復練習も行います。

一つの技を何度も繰り返す。

入り方を確認する。

相手との距離を調整する。

手足の位置を確認する。

途中で止めながら、細かな動きを修正する。

野球でいえば、キャッチボールや素振り、守備の基礎練習に近い部分があります。

プロになっても基礎を繰り返す野球と、柔術の基本動作

三好さんは、野球でも基礎練習が最も重要だったと話しました。

プロになってからも、キャッチボールやスイングといった基本動作を繰り返していたといいます。

特に調子が悪い時ほど、複雑なことを増やすのではなく、基本へ戻る。

ボールの握り方。

体の向き。

タイミング。

スイングの軌道。

日頃から繰り返してきた動きを確認することが、状態を立て直すために必要でした。

柔術にも、同じように基礎中の基礎と呼ばれる動きがあります。

例えば、仰向けになって腰を浮かせる動き。

体を横へずらす動き。

脚を大きく回す動き。

起き上がりながら相手との距離を取る動き。

初めて見る人には、単なるウォーミングアップや体操に見えることがあります。

しかし、その一つひとつが、実際の攻防につながっています。

腰を浮かせる動きは、上に乗る相手のバランスを崩すために使われます。

体を横へずらす動きは、押さえ込みから逃げるために使われます。

脚を回す動きは、相手の体を自分の足の間へ戻すために使われます。

起き上がる動きは、相手に背中を見せず、安全に立ち上がるために使われます。

柔術の準備運動には、競技と関係のない動きがほとんどありません。

ウォーミングアップに見える動作にも、「この動きは、試合のこの場面で使う」という意味があります。

三好さんは、その構造を、野球の基礎練習と重ねました。

派手な技を覚える前に、何度も基本動作を繰り返す。

競技が違っても、土台を作る考え方には共通点がありました。

40代から始める人も、最初は基本の動きから

柔術は、若い頃から競技経験がある人だけのスポーツではありません。

アマゾンさんのもとには、35歳以上、40代になって初めて運動を始める人も来ます。

これまでほとんど運動をしてこなかった人。

格闘技経験がない人。

体が硬い人。

自分の体をどのように動かせばよいか分からない人。

そうした人も、最初は基本動作から始めます。

運動経験がある三好さんであれば、動きを見て少し試すだけで、ある程度の形を再現できます。

しかし運動習慣がない人の場合、仰向けで腰を浮かせることや、寝たまま横へ移動すること自体が難しい場合があります。

そのため、最初から技を完成させるのではなく、自分の体を動かすところから練習します。

柔術では、他人と競う前に、自分の体の使い方を知る必要があります。

どの方向へなら動けるのか。

どこが硬いのか。

左右で何が違うのか。

どの姿勢なら力を出せるのか。

そうした感覚を少しずつ身につけていきます。

柔術では、新しい技が今も生まれ続けている

柔術には、基本となる技があります。

関節技。

絞め技。

投げ技。

押さえ込み。

相手の上に移動する技。

下から相手をひっくり返す技。

しかし、それらが完全に固定された形で終わっているわけではありません。

競技の自由度が高いため、選手の発想から新しい技や新しい入り方が生まれ続けています。

既存の技を別の角度から使う。

複数の技を組み合わせる。

相手が防御した動きに合わせて、別の攻撃へ切り替える。

体格差を利用する。

特定の骨格や柔軟性に合った形へ変える。

そうした試行錯誤の中から、新しいテクニックが生まれます。

中には、技を広めた選手の名前が、そのまま技名として使われる例もあります。

体操競技で、最初に成功させた選手の名前が技につくことがありますが、それに近い形です。

後から技に名前がつくこともあれば、考案した選手自身が名前をつけることもあります。

つまり柔術は、すでに完成された技術を学ぶだけの競技ではありません。

競技者自身が技術体系を更新していく余地があります。

「昔は使えない」と言われた技が、後に主流になる

柔術の世界では、技術に対する評価が変わることがあります。

以前は「実戦では使えない」と言われていた技が、後になって有効だと分かる。

ある時代には正しいとされていた守り方が、新しい攻撃方法の登場によって通用しなくなる。

特定の選手だけが使っていた形が、研究され、一般的な技術として広がる。

そのため、柔術では先入観が崩れることが少なくありません。

「これが正しい」

「これは使えない」

「この形しかない」

そう思われていたものが、競技の進化によって変わります。

アマゾンさんは、柔術には「正解がない」と語りました。

もちろん、安全に技を使うための基本はあります。

力の方向。

体の位置。

危険な関節の角度。

守るべきルール。

しかし、誰にとっても同じ形が最適とは限りません。

体格や骨格が違えば、同じ技でも使い方は変わります。

野球も柔術も、最後は自分の体に合う形を作らなければならない

三好さんは、柔術の「正解がない」という話を聞き、野球にも同じところがあると語りました。

マットの上で向き合い対話する二人
教わった基本を土台にしながら、自分の体に合う形を探していく。競技は違っても、二人の考え方には多くの共通点がありました。

野球には指導者がいます。

バットはこう振る。

腕はこの位置に置く。

足はこう上げる。

体重はこう移動する。

さまざまな指導があります。

しかし、選手一人ひとりで体は違います。

身長。

手足の長さ。

筋力。

柔軟性。

関節の可動域。

視覚の感覚。

タイミングの取り方。

指導者から教わった形が、すべての選手にそのまま合うわけではありません。

最終的には、教わった基本を土台にしながら、自分の体に合う形を自分で探さなければなりません。

三好さんは、それができなければ、競技の中で上へ進むことは難しいと話しました。

アマゾンさんも、柔術の技術を教える際、自分の体であればこう使うという形は示せても、一般の人が同じ形をそのまま再現できるとは限らないと語りました。

教える側は、その人の骨格や体型に合わせて調整する必要があります。

しかし、どこをどの程度変えればよいかを細かく伝えることは簡単ではありません。

本人が何度も試し、失敗し、違いを感じる中でしか見つからない部分もあります。

「失敗しないと分からない」

この言葉は、柔術だけでなく、野球にも通じるものでした。

“アマゾン”というリングネームは、仮面ライダーアマゾンから

対話の中では、「アマゾン」という名前の由来についても話が広がりました。

アマゾンさんは、もともと総合格闘技の選手として活動していました。

その中でリングネームをつけることになり、「アマゾン」という名前を使うようになりました。

名前の由来は、南米のアマゾンやジャングルではありません。

「仮面ライダーアマゾン」です。

周囲からは、野性的なイメージやジャングルを連想されることも多いものの、本人が語った直接の由来は仮面ライダーでした。

公表について尋ねられると、「どうぞ公表してください」と笑顔で答えました。

格闘家としての活動名は「アマゾン大輔」。

検索すると競技歴や過去の情報も出てくるという話になり、三好さんたちもその経歴に関心を示しました。

総合格闘技の老舗「修斗」でプロとして戦った

アマゾンさんは、総合格闘技の中でも長い歴史を持つ「修斗」に関わってきました。

修斗は、日本の総合格闘技を語るうえで重要な競技・団体の一つです。

修斗出身の著名選手として、対話では山本“KID”徳郁さん、五味隆典さん、桜井“マッハ”速人さん、堀口恭司さんらの名前が挙がりました。

世代によって知られている選手は異なりますが、多くの有力選手を輩出してきた場所です。

アマゾンさんは、その修斗でプロ選手として戦っていました。

また、過去には「PRIDE武士道」に出場した経験もあると語りました。

名古屋で開催された初期の大会で、今からおよそ20年以上前のことです。

本人にとっては「かなり昔の記憶」であり、細かな部分は薄れていると話していましたが、当時の格闘技界を知る人にとっては、PRIDEが大きな熱狂を生んでいた時代です。

現在のRIZINにつながる日本の総合格闘技文化が大きく盛り上がっていた時期に、実際に選手としてリングに立っていました。

最も印象に残るのは、勝った試合より負けた試合

印象に残っている試合を尋ねられると、アマゾンさんは、勝った試合よりも負けた試合の方が記憶に残っていると答えました。

その一つが、佐々木信治選手との試合です。

3ラウンド制の試合で、1ラウンドに強烈な攻撃を受け、倒されました。

1ラウンドのことは覚えている。

しかし、その後の2ラウンド、3ラウンドの記憶がほとんど残っていない。

それでも試合自体は続き、最後まで戦いました。

採点上は、2ラウンド、3ラウンドで取り返した部分もあったといいます。

しかし、1ラウンドでついた大きな差を埋め切ることができず、判定で敗れました。

本人には後半の記憶がない。

それでも体は戦い続けていた。

その試合を通して、勝負の厳しさだけでなく、総合格闘技が持つ危険性をあらためて感じたと語りました。

格闘技は競技であり、技術を競うスポーツです。

同時に、相手の打撃で意識を失う可能性や、関節を負傷する可能性がある競技でもあります。

特に総合格闘技では、立った状態での打撃、投げ、寝技、関節技、絞め技が連続します。

その危険性を、試合の中で体感した経験でした。

うまくいった試合より、ミスや敗北の方が残り続ける

三好さんも、「ミスをした時の方が記憶に残る」と共感しました。

良かった試合や成功したプレーは、意外と細部まで思い出せない。

一方で、失敗した場面は長く残ります。

打てなかった打席。

守れなかった打球。

判断を誤った瞬間。

負けにつながったプレー。

成功した時には、反省しようとしても、具体的に何を反省すればよいか分からないことがあります。

しかし失敗した時には、「なぜそうなったのか」「次はどうするのか」を強く考えます。

悔しさがあるから、記憶に残る。

記憶に残るから、繰り返し振り返る。

その振り返りが、次の修正につながることがあります。

敗北やミスは苦しい経験です。

しかし、競技者にとっては、成功より多くの情報を残すこともあります。

挫折から立ち直るために、「自分が思うほど、他人は見ていない」と考える

三好さんから、悔しい時や挫折した時に、どのように立ち直るのかという質問がありました。

アマゾンさんは、現在取り組んでいる柔術が、主にアマチュア競技であることを前提に、自身の考えを語りました。

柔術の大会では、プロスポーツのように大勢の観客が集まり、選手が報酬を得て出場するとは限りません。

むしろ、アマチュア選手が参加費を払い、自分のために試合へ出ることも一般的です。

試合に勝っても負けても、世間全体が長く注目するわけではありません。

試合直後には悔しさがある。

周囲と話題になることもある。

しかし、多くの人はすぐに次の出来事へ進んでいきます。

そのためアマゾンさんは、失敗した時に、

「自分が思っているほど、他人は自分のことを見ていない」

と考えるようにしているといいます。

自分の中では大きな失敗に感じていても、周囲の人が何日も何週間も、その失敗だけを考え続けているわけではありません。

「あの人のあのミスがずっと駄目だった」と、永遠に言い続ける人はほとんどいない。

強く引きずっているのは、自分自身であることが多い。

そう考えることで、起きたことに過度に縛られず、次へ切り替えるようにしています。

失敗を消すことはできないが、意味をつけ直すことはできる

ただし、失敗を気にしなければよいという話ではありません。

起きてしまった出来事を、なかったことにはできません。

負けた試合は負けた試合です。

ミスしたプレーは消えません。

けがをした事実も変えられません。

だからこそ重要になるのが、その経験に意味を与えることです。

「この敗戦から何を学んだのか」

「次に同じ状況が来たら、何を変えるのか」

「この経験があったから、何に気づけたのか」

出来事そのものは変えられなくても、その後の受け止め方は変えられます。

失敗をただの傷として残すのか。

次の行動を変える材料にするのか。

アマゾンさんは、反省や修正を行いながら、失敗に意味付けをすることが重要だと語りました。

三好さんも、プロ野球では一つのミスの後に気持ちが落ち込み、そのまま立ち直れなくなる選手がいると話しました。

「一度、柔術で締めてもらったら変わるかもしれない」と冗談も交えながら、失敗への向き合い方は、野球選手にとっても大きな課題だと受け止めていました。

柔術は「見るスポーツ」より、「やるスポーツ」

プロ野球では、毎試合多くの観客が球場に入ります。

三好さんがプレーしていたバンテリンドームにも、数万人の観客が集まります。

一つのプレーに歓声やため息が起こり、選手の結果がニュースやSNSで語られます。

一方、ブラジリアン柔術は、基本的には「見るスポーツ」というより「やるスポーツ」です。

大会会場には、出場者、チームメート、家族、関係者が集まります。

世界大会規模になれば多くの人が集まりますが、日常的な大会で、競技を知らない一般観客が大量に来場することは多くありません。

そのため、負けた時の外部からの注目も、プロ野球とは大きく異なります。

アマゾンさん自身も、元プロ格闘家として大きな舞台を経験しているからこそ、現在の柔術大会を見て、「ここで自分が勝っても負けても、周囲はそこまで気にしていない」と考えられる部分があると話しました。

ただし本人も、三好さんが経験してきたプロ野球の環境とは条件が大きく違うため、同じ考え方がそのまま当てはまるとは限らないと前置きしました。

3万人規模の観客。

年間を通した報道。

球団やチームへの責任。

毎日の成績。

生活や契約に直結する結果。

プロ野球選手が感じるプレッシャーは、アマチュア柔術とは異なります。

それでも、「周囲は自分が思うほど、一つの失敗だけを見続けてはいない」という考え方には、共通して使える部分があるかもしれません。

試合前の恐怖と不安は、格闘家にもある

格闘技を続けていると、試合が怖くなくなるのか。

その質問に対して、アマゾンさんは明確に「怖い」と答えました。

試合前には緊張します。

不安にもなります。

相手の攻撃を受ける可能性があります。

けがをする可能性があります。

負ける可能性があります。

どれほど経験を重ねても、恐怖が完全になくなるわけではありません。

しかしアマゾンさんは、緊張や不安を消そうとはしません。

人が危険を感じた時、体は戦うための準備を始めます。

心拍数が上がる。

呼吸が変わる。

トイレが近くなる。

感覚が鋭くなる。

筋肉に力が入る。

緊張は不快なものですが、同時に体が戦闘態勢へ入るための反応でもあります。

そのため、緊張を無理に押さえ込むのではなく、必要なものとして受け入れます。

リラックスとは、緊張がゼロの状態ではない

アマゾンさんは、競技で高いパフォーマンスを発揮するには、緊張がまったくない状態が最適とは限らないと話しました。

緊張が強すぎれば、体が固まり、普段通りに動けなくなります。

いわゆる「上がってしまう」状態です。

一方、緊張がまったくなければ、反応が鈍くなり、力を出し切れないことがあります。

重要なのは、緊張を一度ある程度まで高め、そこから自分が動きやすい状態へ調整することです。

完全に脱力した状態ではなく、戦う準備が整った状態。

体は起きている。

意識は集中している。

しかし余計な力は入りすぎていない。

その中間に、競技者にとっての「リラックス」があります。

アマゾンさんの場合、相手が実際に攻撃してくる競技であるため、低すぎる緊張状態では戦えません。

あえて気持ちを一段上げ、試合に入っていきます。

「緊張しないようにする」のではなく、「緊張を使う」という考え方です。

年間143試合、毎日試合があっても緊張は消えない

三好さんは、プロ野球選手時代、年間143試合を戦っていました。

基本的には月曜日が休みで、それ以外は週6日、試合が続きます。

それだけ多くの試合を経験しても、毎回緊張していたといいます。

特に、バンテリンドームの駐車場に入り、球場へ向かう瞬間から気持ちが重くなることがありました。

「今日もやらなければいけない」

「試合が始まる」

「結果を出さなければならない」

球場に入っただけで、少し気持ち悪くなるような感覚が出る日もありました。

試合数が多いから緊張に慣れ、何も感じなくなるわけではありません。

毎日試合があるからこそ、毎日緊張が訪れます。

最も緊張したのは、試合開始直後の最初の守備

三好さんが最も緊張したのは、打席に立つ瞬間だけではありませんでした。

試合が始まり、最初に守備位置へ向かう時。

スターティングメンバーとして名前が呼ばれ、グラウンドに出る時。

その瞬間が最も緊張したと語りました。

「始まってしまう」

その感覚が強く出ます。

しかし、一度試合が始まると、徐々に競技へ入っていきます。

アドレナリンが出る。

目の前の打球や走者に集中する。

観客の声が遠くなる。

球場全体ではなく、自分の守備範囲やグラウンドだけが見えるような感覚になる。

開始前は周囲のすべてが気になります。

しかし試合に入ると、意識の範囲が絞られていきます。

緊張が消えるというより、集中へ変化していきます。

野球は長時間ずっと集中しているわけではない

アマゾンさんは、野球の試合時間の長さにも驚きを示しました。

格闘技は、ラウンドごとに短い時間へ集中します。

一方、野球は数時間続くことがあります。

その長い時間、選手はどのように集中を保つのか。

三好さんは、「ずっと集中しているわけではない」と答えました。

一試合の最初から最後まで、同じ強度で集中し続けることはできません。

守備に入る。

攻撃を待つ。

ベンチで相手投手を見る。

打席が近づく。

守備機会が来る可能性を考える。

場面ごとに意識を切り替えます。

必要な時に集中し、それ以外では少し力を抜く。

その切り替えがあるからこそ、長い試合を戦えます。

格闘技と野球では競技時間も攻防の形も違いますが、緊張と集中を調整する必要がある点は共通しています。

東京ドームで見たプロ野球は、ライブだからこそ面白かった

アマゾンさんは、普段は野球をそれほど多く見るわけではありません。

しかし最近、家族と東京ドームで巨人戦を観戦し、野球の面白さを強く感じたと話しました。

テレビではなく、球場で見る。

観客の声を聞く。

音楽や演出を感じる。

選手が入場する。

応援が始まる。

得点のたびに球場が動く。

プロ野球は競技であると同時に、大きなエンターテインメントでもあります。

本人は野球に詳しいわけではありませんでしたが、ライブで見ることで試合の空気や流れを楽しめました。

どの競技でも、現場で見ることには特別な力があります。

画面では伝わらない距離。

音。

スピード。

観客の緊張。

選手の間。

それらが重なることで、ルールを細かく知らなくても面白さを感じられます。

アマゾンさんが面白いと感じたのは、「守り切れるか」という場面

野球観戦の中で、アマゾンさんが特に面白いと感じたのは、点差を守り切れるかどうかという場面でした。

試合終盤。

わずかなリード。

一打で同点、あるいは逆転される状況。

あと一人抑えれば勝てる。

しかし、一つのミスで流れが変わる。

その緊張感に、柔術との共通点を感じました。

柔術でも、先にポイントを取った選手が、残り時間を守り切る展開があります。

下になっていても、相手の攻撃を防ぎ切れば勝てる。

逆に、残りわずかな時間で相手をひっくり返せば、逆転できることがあります。

攻めている側だけでなく、守っている側にもゲームがあります。

相手の技を防ぐ。

点を取られない。

時間を使う。

一瞬の隙を消す。

観客としては攻撃する選手の方が分かりやすく、派手に見えます。

しかし競技経験がある人は、守る側の細かな判断や苦しさにも注目します。

アマゾンさんは、野球でもそのような見方をしていました。

最終回にリードを守れるか。

投手が崩れずに終えられるか。

一人の走者を出したことで、流れが変わらないか。

その攻防に、柔術のポイントゲームと近い面白さを感じたのです。

野球の7回、8回、9回には、監督と選手のゲームが詰まっている

三好さんは、野球では7回、8回、9回が特に重要になると説明しました。

終盤になると、監督は試合の流れを見ながら選手を入れ替えます。

先発投手を続投させるのか。

中継ぎ投手へ交代するのか。

守備を固めるのか。

代打を送るのか。

走者を進めるのか。

一番信頼している投手をどの場面で使うのか。

一点差の試合では、判断一つが勝敗に直結します。

投手は疲れているかもしれません。

精神的に動揺しているかもしれません。

一つの四球。

一つのエラー。

一つの被安打。

それをきっかけに、急に崩れることがあります。

アマゾンさんも、野球観戦の中で、一度のミスから立て続けに失点する場面を見て、人の心情や試合の流れに興味を持ちました。

技術だけでは説明できない。

一球ごとに空気が変わる。

選手の心理状態が次のプレーへ影響する。

それが、野球のゲーム性を作っています。

柔術でも、攻撃だけでなく「守っている時間」に物語がある

柔術を知らない観客は、相手を投げる、ひっくり返す、関節技をかけるといった攻撃に注目しやすいものです。

一方、経験者は、技が決まる前の防御を見ています。

首を守っている。

肘を閉じている。

相手の足を越えさせない。

腰を床から浮かせない。

残り時間を見ながら、危険な賭けをしない。

下の選手が何とか相手との間に膝を入れる。

上の選手が、その膝を越えようとする。

外から見るとわずかな動きでも、その中に攻防があります。

野球の終盤で、一点を守る投手や守備陣を見るように、柔術にも守り切る面白さがあります。

三好さんたちは、体験前には攻撃する側の技に目が向いていました。

しかし、実際に押さえ込まれ、下から動けない感覚を知ったことで、守る選手の見方が変わりました。

「下の人がどう守るのか」

「ここからひっくり返せるのか」

「このまま時間を使って耐えられるのか」

柔術観戦の面白さは、技を知るほど増えていきます。

そして技の名前だけでなく、その状態を一度でも体験すると、さらに深く見えるようになります。

異なる競技でも、選手が向き合っているものは似ている

ブラジリアン柔術とプロ野球。

一方は、一対一で相手の体を直接制御する競技です。

もう一方は、チームで守り、打ち、走り、得点を競う競技です。

表面的には、大きく異なります。

しかし今回の対話では、二つの競技に多くの共通点が見つかりました。

基本動作を何度も繰り返すこと。

教わった技術を、自分の体に合う形へ変えること。

正解を一つに決めつけないこと。

試合前に緊張すること。

緊張を消すのではなく、集中へ変えること。

勝った試合より、負けた試合の方が記憶に残ること。

失敗をなかったことにせず、意味を与えること。

観客には簡単に見えても、選手にはできない瞬間があること。

守る側には、外から見えない苦しさと技術があること。

競技が違っても、選手は自分の体と心を使い、限られた時間の中で判断し続けています。

「正解がない」という言葉は、自由であると同時に厳しい

柔術で語られた「正解がない」という言葉は、何をしてもよいという意味ではありません。

基本を知らなくてもよいという意味でもありません。

むしろ、基本を学んだ上で、自分に合う形を探し続けなければならないということです。

指導者が示した形をそのまま使って、うまくいく人もいます。

少し角度を変えなければ使えない人もいます。

別の入り方の方が合う人もいます。

同じ技でも、長い脚を生かす人と、低い重心を生かす人では、形が変わります。

野球でも同じです。

有名選手のフォームをまねても、自分に合うとは限りません。

コーチの言葉を聞くだけでは完成しません。

自分で試し、失敗し、修正する必要があります。

正解が一つでないから、可能性があります。

同時に、自分で考え続けなければならない厳しさがあります。

柔術着を着た二人の記念写真
技術、緊張、敗北、立ち直り方。異なる競技を経験してきた二人の対話から、競技者に共通する姿が見えてきました。

編集後記

今回の対話で最も印象的だったのは、柔術の技を実際に受けたことで、競技の見え方が大きく変わっていく過程でした。

足首を少し固定される。

首に腕を回される。

上から体重を乗せられる。

動きとしては、派手ではありません。

しかし、そのわずかな体験によって、「なぜ逃げられないのか」「なぜ選手が降参するのか」「なぜ下の選手が苦しいのか」が急に現実味を持ちます。

外から見るだけでは分からないことがあります。

野球で「ここは打てるだろう」と思っても、実際の打者には打てない理由がある。

柔術で「すぐ逃げればいい」と思っても、実際には体を動かす空間がない。

競技者の中には、観客には見えない圧力、判断、恐怖があります。

また、二人が共通して語った「正解がない」という感覚も印象的でした。

柔術では、技が今も生まれ続けています。

過去に使えないと思われていた技が、後に有効だと分かることがあります。

野球でも、指導者の教えをそのまま再現するのではなく、自分の体に合う形を作らなければなりません。

誰かの正解が、自分の正解になるとは限らない。

だからこそ、基本を繰り返し、試し、失敗し、考え続ける必要があります。

失敗や敗北に対する考え方にも、競技を超えた共通点がありました。

勝った試合より、負けた試合の方が残る。

成功したプレーより、ミスした場面を思い出す。

失敗そのものを消すことはできません。

しかし、その経験に意味を与え、次の行動を変えることはできます。

そして、自分が思うほど、周囲は一つのミスだけを見続けていない。

その言葉は、競技者だけでなく、失敗から切り替えられずにいる多くの人にも通じるものです。

緊張についても同じでした。

格闘家も怖い。

プロ野球選手も、年間143試合を戦ってなお、毎日緊張する。

緊張は弱さの証明ではありません。

体が戦う準備をしている反応です。

大切なのは、緊張をなくすことではなく、動ける状態へ整えること。

競技者は、恐怖や不安が消えてから戦うのではありません。

それらを抱えながら、グラウンドやリング、マットへ立っています。

今回の対話は、ブラジリアン柔術の技術を知る時間であると同時に、競技者が自分の体、自分の失敗、自分の緊張とどう向き合っているのかを知る時間でもありました。

関節技のわずかな角度。

野球の一球。

試合終盤の一点。

勝負を分けるのは、とても小さな違いです。

その小さな違いを積み重ね、自分なりの形を作っていく。

そこに、柔術にも野球にも共通する、競技の深さがありました。

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